礼文島召国(めしくに)を訪ねて

種石悠

 平成25年から毎年夏に、北海道北部の離島、礼文島の浜中(はまなか)2遺跡発掘調査に参加している。

 浜中2遺跡は、礼文島北部船泊(ふなどまり)湾の砂丘上にある。縄文時代、続縄文時代、オホーツク文化期、擦文文化期、アイヌ文化期の追構と遺物が、良好な状態で包蔵されているため、平成23年から日本・カナダをはじめとする調査チームによって国際共同調査が行われることとなった。これまでの発掘調査で、オホーツク文化の墓と貝塚、続縄文文化の炉の跡などが検出された。

 調査成果については、これから随時報告がなされていく。ここでは調査の途上で目にした、礼文島西海岸の集落、召国について紹介したい。

 召国には、数年前まで人の暮らしがあった。しかし集落の人口は減り続け、いまでは住む人はいない。召国について知ったのは、浜中2遺跡の近くに住む方が、最近まで召国と浜中との間を季節的に移動する暮らしをしていたことを耳にしたからである。

 召国での生活について間き取りを行った北海道大学の近藤祉秋氏らとともに、平成28年の夏に召国を訪ねた。背後は、急峻な斜面で、目の前は海である。集落には家が数戸残され、そのかたわらには漁や交通手段に使われたであろう船が、数隻置かれていた。

 近藤氏によれば、昭和30年代に結婚して召国に来たある女性は、はじめ召国に通年で暮らしていたが、昭和40年代に子どもが学校に上がるようになってから浜中にも家を買い、3~10月の間だけ召国に住むようになったという。召国では漁撈のほか、海苔採取やトド・アザラシ猟もしていた(浜中在住の80代女性、採録:平成28年8月9日)。

 また、結婚して召国に来たというもう1人の女性は、最初通年で召国に経らしていたが、子どもを学校に通わせるため5~9月は召国、冬は浜中に暮らすようになったという。義理の父が銃でトド猟をするのを見たことがある(浜中在住の70代女性、採録:平成28年8月10日)。

 居住地を季節的に変え、船を交通手段とし、漁撈や海獣猟を行ったかつての召国の暮らしは、一般的な私たちの暮らしと比べ、とてもユニークなものに思えた。

(初出:北海道立北方民族博物館友の会季刊誌 Arctic Circle 103/2017.6.23)

2020.3.10

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