イノシシのイ

津曲敏郎

 標題が回文(前から読んでも後ろから読んでも同じ)になっているのはご愛矯だが、亥年にちなんで、イノシシという単語の成り立ちについて考えてみよう。シシは古くは「肉」の意味で、そこから「(食用となる)獣」をも意味した。つまりイノシシとは「猪の肉/獣」という言い方から来ており、イの部分が本来の意味を担っている。このイは旧仮名遣いではヰ(ゐ)と記されたことから、本来はウィだった。ウィとは鳴き声(?)から来ていることも考えられるが、一方でツングース諸語との関連も指摘されている(池上二良2004『北方言語叢考』268-70)。それによると、満洲語で「豚」をウルギャンulgiyanと呼ぶが、この語は多少かたちを変えながらアムール下流域のツングース諸語やニブフ語にも入っている。満洲語で-giyanは接尾辞で、ul-が語幹である。イノシシの子をウリボウと呼ぶのは、瓜のような縞模様があるからと解されることが多いが、むしろ上記ウィとともに満洲語の「豚」の語と共通する要素を含むと見るほうが説得力がある。経路や時期はさておき、北方言語から日本語に入った単語の一つつである可能性を池上は指摘している。ちなみに、これらの言語では「イノシシ」を表わす語は別にあり、アムール流域や沿海地方では今も重要な狩猟対象となっている。

 イノシシの家畜化ないし飼育ブタの導入は日本列島でも縄文・弥生の昔からあったとされるが、仏教伝来とともに肉食がタブー視されるに伴い、一時影をひそめた。北方では、古くオホーツク文化にブタ飼育の痕跡が見られ、また中国の史書にもツングース系とみられる古集団のブタ飼育と利用について記述があるという(上記池上による)。それによると、飼育してその肉を食べ、皮を着て、冬にはその脂を体に塗って寒さを防いだとあり、北方ならではの利用法が知られる。

 人間によって管理・改良されてきた家畜ブタが現代人の重要な食肉源となる一方で、イノシシが今もたくましく野を駆けているのは野生の健在を誇示しているかのようだ。とは言え、原発事故で人影の消えた住宅街をイノシシがわがもの顔に闊歩(かっぽ)しているというのは、文明の皮肉を見るようでつらい風景である。本州では人里に現れて畑を荒らしたりする「害獣」でもあるが、これだけの生命力がありながら、北海道やサハリンにはいないというのもちょっと意外な感じがする。オホーツク文化のブタはいつどこから持ち込まれたのか、この文化の担い手とその交流の歴史を考えるうえで興味深い。

 

(初出:北海道立北方民族博物館友の会季刊誌Arctic Circle 109/2018.12.21)

2020.3.10

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