山田祥子

本紹介『神々と精霊の国:西シベリアの民俗と芸能』星野紘・齋藤君子・赤羽正晴編 (国書刊行会)

 西シベリア、ウラル山地の東側を流れるオビ川の中下流域には、ハンティ、マンシ、ネネツなどの北方先住民が暮らしている。この地域は豊富な石油・天然ガス資源を有し、今日のロシア経済を下支えする土地である。一方で、ロシアのアジア側とヨーロッパ側の境界に位置し、ユーラシアの東と西の文化の融合ないし分岐する地域としても学術的に重要視されてきた。しかし、日本で当地の文化についてまとまった情報に触れる機会は少ない。

 本書は、当地に住む先住民を対象に行われた実地調査の記録と、それらに考察を加えた文章で構成されている。編者三名のほか、池田哲夫氏、山田徹也氏が寄稿しており、現在まで先住民に伝承されるクマ祭りと芸能、口承文芸、狩猟・漁撈等の生活技術について、多角的な視点から紹介している。

 西シベリアの先住民といえば、本誌(北方民族博物館友の会季刊誌Arctic Circle91~94号(2014年度)の表紙や中開きのカラー写真で大石侑香氏に紹介いただいたことが記憶に新しい。あたたかな毛皮製の衣服に施された色とりどりの装飾が印象的だった。あの毛皮加工や服飾は、言うまでもなく伝統的な生活技術や精神文化とともにある。本書を読めば、当地の文化がより立体的に見えてくる。

 ユーラシア東西の文化の比較民俗学研究の足がかりとなることを目指す本書では、各所に「比較」の視点による考察が盛り込まれている。たとえば星野紘氏は、現地語で「クマ遊び」と呼ばれるハンティのクマ祭りや、そこで演じられる歌・寸劇・踊りといった芸能の記述において、アイヌの霊送り儀礼や日本の能・狂言との異同に言及する。赤羽正春氏は、ハンティの狩猟に用いられる罠(わな)が、同氏がこれまでに調査してきた東シベリアの諸民族のものと共通することを指摘する。このように大陸横断的な「比較」の視点は、日本の読者が遠く離れた西シベリアの文化を解釈する一助となるだろう。

 書名にある「神々と精霊」の観念については、口承文芸研究にもとづく齋藤君子氏の解説が示唆に富む。ハンティやマンシの伝統的な世界観では、大地に生命の誕生をもたらし、自然の秩序を守っているのは天上の最高神ヌム・トルムの力である。その末息子は地上に降ろされて人間に獲物を捕る方法を教えた文化英雄として、今日も人びとに愛される存在である。一方で、トルムの弟(ないし息子)のクリは邪悪な神で、人間に危害をもたらす。自然現象を支配する精霊たちも、それぞれ個性的だ。たとえば、雷の精霊は虹の弓(すなわち稲妻)を使って悪霊ふちを退治する。深い淵や湖には巨大なカワカマスの姿をした精霊が棲んでいて、怒るとボートをひっくり返したり、かじったりするという。さらに、古の時代に活躍した勇士たちの霊魂は生き続け、祖霊となって土地の人びとを守っているとされる。こうしたひとつながりの壮大な世界観が芸能や口承文芸のなかで伝えられ、今も人びとから親しまれているという事実は興味深い。

 出版社の紹介文に「論考集」とあるので少し身構えたが、開いてみると専門用語が少なくて存外読みやすい。歌や口承文芸の具体的な内容も平易な日本語で紹介されており、現地の精神文化の「生」に近い情報に触れられることも、本書の特長といえる。西シベリア先住民、特にハンティやマンシの文化について知ることのできる一般向けの図書として、画期的な一冊であろう。

(初出:北海道立北方民族博物館友の会季刊誌 Arctic Circle 98/2016.3.18)

2020.3.11

北海道立北方民族博物館 〒093-0042 北海道網走市字潮見309-1 電話0152-45-3888 FAX0152-45-3889
Hokkaido Museum of Northern Peoples   309-1 Shiomi, Abashiri, Hokkaido 093-0042 JAPAN FAX+81-152-45-3889