齋藤君子

ヤランガに雁のとまる時 北方民族の語り1 ~シベリア先住民族の口承文芸~

シベリアの口承文芸の特徴

 世界にはさまざまな民族が住んでいるが、どの民族にも代々親から子へと語り継がれてきた物語や歌がある。そうした口伝えの伝承を口承文芸と呼ぶ。口承文芸には叙事(じょじ))のジャンルと抒情(じょじょう)のジャンルがあり、叙事の中心的なジャンルは昔話と英雄叙事詩、それに伝説である。しかし、どの民族にもすべてのジャンルが揃っているわけではない。地域や民族によって、存在しないジャンルもある。日本国内を例にとれば、日本民族には英雄叙事詩はないが、アイヌ民族には世界の三大叙事詩の一つとして名高いューカラ(ラテン字表記はyukar)がある。シベリアの場合、特に英雄叙事詩が発達しているのは、南シベリアのチュルク・モンゴル系民族と極東のツングース系民族である。

 シベリア先住民族の多くは近年まで主に狩猟、漁撈、採集を生業としてきた。ウシ、ウマ、ヒッジ、トナカイなどを飼育する牧畜民もいるが、そんな彼らも川で魚を捕ったり、森で獣を仕留めたり、山菜やベリーを採ったりするなど、食糧の多くを自然の恵みに依存してきた。そのため当然、彼らの昔話の中心はキツネやクマなどの野生動物を主人公とした動物昔話である。主人公は動物とはいえ完全に擬人化されている。たとえば、シジュウカラが木を切り倒して舟を造り、舟旅に出るといった具合で、人間とまったく変わらない行動をとり、鳥とは思えない。シジュウカラと呼ばれてはいるが、それは鳥ではなく、人間に付けられた綽名(あだな)のようだ。シベリアの昔話では登場人物が人間なのか動物なのか、わかりにくいことが多い。

シベリアの英雄叙事詩とヨーロッパの魔法昔話

 古典的な英雄叙事詩の筋立ては、ひとりぼっちで暮らす若者がなんらかの事情で遠い国へ出掛けていって強力な敵を倒し、そこに幽閉されていた娘を救出し、彼女を連れて故郷に戻って幸せに暮らすというものである。こういうストーリーはヨーロッパの魔法昔話にも共通する。魔法昔話との違いは全体、ないしは台詞(せりふ)部分がうたわれることである。しかもふつうの歌い方ではなく、喉歌という独特の歌唱法でうたわれる。弦楽器の演奏を伴うことも多い。このことはおそらく、英雄叙事詩が聖なる物語として機能してきたことを意味している。

 シベリアの昔話に魔法昔話と呼ばれるものがないわけではないが、その中身はヨーロッパの魔法昔話とはかなり違っている。ロシア科学アカデミーのシベリア支部出版の叢書「シベリアと極東諸民族のフォークロア」の第27巻『ヤクートの昔話』(2008年)を開き、魔法昔話に分類されている話を読むと、現実にはありえない、摩詞不思議な物語が並んでいる。その中には累積昔話もあれば動物昔話もあり、「小さな主人公」の名で知られる昔話や、「白鳥女房」、「蛙女房」といった異類婚姻輝もある。「妹は人食い」や日本の「かちかち山」のように魔物を退治する話もある。ここでは「魔法昔話」という用語がきわめて便宜的に使われていて、その中身はヨーロッパの魔法昔話とは明らかに異なる。

 一方、日本民族にはヨーロッパの魔法昔話に相当する昔話がほとんどないうえ、シベリアのような英雄叙事詩もない。魔法昔話のような話があるとすれば、それは文献から入った話である可能性が高い。だから日本の昔話に慣れ親しんできた私たちがヨーロッパの魔法昔話を読むとバタ臭さを感じる。シベリアの昔話の方が親しみを感じるのではないだろうか。

民族のルーツと口承文芸

 21世紀になって分子人類学が目覚ましい発展を遂げ、その成果として、現生人類が東アフリカで生まれた単一種であること、出アフリカを果たした人類が当時地続きだったアラビア半島へ出た後、世界各地へと移動していったことが明らかになった。人類が移動したルートは三つあるという。第一のルートはインドを経て東南アジア、オセアニア、オーストラリアヘ行く南ルート、第二のルートは中央アジアからシベリアを経由し、華北、アメリカ大陸へと行く北ルート、第三のルートは西アジアからョーロッパ、北アフリカヘと行く西ルートである。

 崎谷満著『新日本人の起源:神話からDNA科学へ』(勉誠出版、2009年)によると、日本へやって来た集団は極東・アムール川流域からサハリンを経て北海道、東日本へとやって来たプロトアイヌ集団と、極東・アムール川流域から南下して朝鮮半島を通り北九州へ到達した集団だという。いずれの場合も前述の三ルートのうち北ルートで日本列島へ来たことになる。

 日本人の祖先たちがたどってきた道は遺伝子の中だけでなく、彼らが代々伝承してきた物語の中にもなんらかの形で痕跡を留めているはずだ。こうした悠久の時の流れに思いを馳せながら、日本とシベリアをつなぐ昔話の世界をのぞいてみるのも一興だろう。本連載(第2~4回)では私たちが幼いころから親しんできた「猿蟹合戦」や「かちかち山」を取り上げ、シベリア先住民族の話と比較しながら、これらの物語にどのような意味が隠されているのか、社会の中でどのような役割を果たしてきたのかといったことを考えてみたい。

※「ヤランガに雁のとまる時」は、北方民族の口承文芸とその背景にある自然・社会・文化について紹介するコーナーです。

(初出:北海道立北方民族博物館友の会季刊誌 Arctic Circle 103/2017.6.23)

 

 北方民族の語り2 ~ シベリアの「猿蟹合戦」

 北方民族の語り3 ~ シベリアの「かちかち山」

 北方民族の語り4 ~ シベリア先住民族と八百万の神々

 北方民族の語り5 ~ 語りをするとき

 北方民族の語り6 ~ ふしぎの世界

 北方民族の語り7 ~ 食文化

 

 

2020.4.19

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