ユーコン川はカナダのユーコン準州からアメリカのアラスカ州を通過しベーリング海へと流れる大河である。ユーコン川は様々な生命を育む。生い茂るスプルースの木々、パイクやグレイリングといった様々な魚類、ヘラジカにカリブー(トナカイ)、ビーバー、クロクマ。当館が紹介している北米先住民もユーコン川の恵みを享受してきた。
ユーコン川の恵みを受け、また惹きつけられてきた者は彼らだけではない。本書の著者、日本を代表するカヌーイストである野田知佑もその一人であろう。
本書は表題の通り、「ユーコン川を筏で下る」24日間の旅の記録である。しかしこの要約では充分と言えない。この旅行が行われた2013年当時、著者は既に75才。そのことにも驚きであるが、彼はこれまでにユーコン川を20回以上訪れ、毎回数百キロの距離をカヌーで漕いできた。初めてユーコン川を下り始めたのは1986年のことであるという。もはやユーコン川は著者の人生の一部となっている。本書はレイク・ラバージュでの筏の製作のことから、最終目的地のドーソンまでの経過が順番に語られていくが、旅の節々で出会う物事が引き金となり、著者のこれまでの数々の旅の記憶が引き出される。本書は24日間の旅行記というよりは、どこか半生記のような体をなしている。
著者とユーコン川の出会いは『ナショナル・ジオグラフィック(英語版)』1975年12月号に載った1本の記事にまで遡る。20代の若者四人が筏を作りユーコン川を下るその冒険記事は、著者を含め当時の冒険心あふれる若者を惹きつけた。筏はカヌーと比べてスピードが遅く、非常に時間がかかる乗り物だそうだ。著者はそのようなのんびりした川下りに長年あこがれていた。
著者が作った筏は1人+犬2匹用であるが、旅をサポートし同行する者たちが集まり合計8 人の所帯となった。夜には全員で焚火を囲んで語り合い、釣った魚を食べる。ユーコン川はアメリカ本土に物足りなさを感じたものが移住し、ユーコンの恵みの中、全力で生きることで、本当の人生を見つける場所だという。そのような生活を「full life (フル・ライフ)」と呼ぶが、その豊かさの意味が本書全体を通して感じ取れるだろう。
本書に時折現れる先住民(ファースト・ネーションズ)の姿も見逃せない。ユーコン川一帯はアサバスカ・インディアンと呼ばれる人々が暮らしてきた土地である。当館でも次回の企画展で彼らの生活を紹介するが、日本の水産会社にイクラを売る人、著者に同行する「日本の若い娘」を見学しにきた青年、近年になり土地裁判で先祖の土地を奪回し新たな整備に乗り出す人など、現在の彼らの生活の一面を知ることができる。
さてユーコン川の豊かな自然と「フル・ライフ」を知るためには本書は最高の1冊であるが、著者によれば実は世界で1番良い川は日本の川なのだそうだ。少なくとも50年前はそうであったという。四季の美しさ、魚の豊富さ、水温が高く川に入って遊べる点、危険な動物がいない点、どれをとっても日本の川は世界一だと著者は主張する。しかし良い川だと思った数年後にはダムが作られ、川がダメになる。川で遊ぶことすら「危ない」とされ様々な干渉が入る。そういった現実の中で行う川下りは、誰よりも川を愛する著者には負担であった。ユーコン川はそんな著者を解放し、全身で楽しめる川なのである。本書は川と人間の関係についても考えるきっかけを与えてくれるだろう。