笹倉いる美

 

本紹介 『シベリア最深紀行 知られざる大地への七つの旅』中村逸郎著/岩波書店

 著者の7つの旅はロシアのシベリアで行われた。巻頭に地図が掲載されており、ネネツの住む西シベリアを除くと、どちらかというと、シベリアの中でもロシアと他の国との境に近い辺りを旅したことがわかる。そしてそれは、単にロシアのシベリアというだけではなく、近隣からの影響も感じさせる。このロシアのシベリアという語句は、本書ではロシアとシベリアが別個の、いわば対立する形で使われている。著者はロシアのなかのシベリアという枠組みでシベリアを理解するには限界があるのではないかという。それをシベリアのなかのロシアと反転することで、シベリアに入ったロシア人がどのように変化し、シベリアの人々がいかにロシア人を受け入れたのかが見えてくるのではないかとする。

 旅はアバラーク村行きからはじまる。シベリア最初の都市に認定されたトボーリスクのカフェで店員に「いったい、シベリアに生きる人びとはなににアイデンテイティーを求めているのだろうか」と尋ねてみる。著者はこうした、突然きかれても困るような質問をあちらこちらで発している。そしてたいていの場合有益な情報がもたらされる。このときも店員は、はにかみながらも目に輝きをともし、神の宿る地とされる、アバラーク村があり、ここをシベリアにおけるロシア人のルーツだと考えていて、いつかは訪れたいと思っていると話すのだった。イスラム教徒のメッカ巡礼にも似た思いであろうか。こうして著者はシベリアに暮らすロシア人が聖地と考えているアバラーク村を目指すのだった。一体なぜアバラーク村は聖地になったのか。

 西シベリアはかつてはイスラム教徒のタタール人が支配する地であった。ここにロシア正教徒のロシア人が侵攻し、アバラーク村周辺が戦地となり、ロシア部隊が勝利をおさめる。こうしてシベリアにロシアが足がかりを築くことになった。ロシア最後の皇帝ニコライニ世も死の前にこの地を訪れ祈りを捧げたという。それほどに、アバラーク村はロシア人にとって特別な場所なのだ。

 ところが著者はこの村で、驚くべきことにタタールの末裔に出会う。さらに彼女はロシア正教会で祈るが、家族の風習はイスラム教であるという二重信仰者でもあった。実際ロシア人の聖地アバラーク村の人口800名の半数が、彼女と同じイスラム教徒のタタール人だという。ロシア人によって征服された町で先祖からの宗教や風習を堅持しながら、ロシア人との距離をはかりながら暮らしてきたタタール人と、征服者だからといってタタール人を追放しなかったロシア人。シベリアのなかのロシアのひとつの在り方である。

 どの旅も結局は宗教に関係していくようだった。言い換えれば、宗教のこと抜きでは、シベリアの生活を語ることができないというほどだ。シベリアには宗教のために、生活を決めている人もいる。どこでも多かれ少なかれそういうことはあるだろうが、シベリアの場合激しく、それは例えば世捨て人という形で現れたりする。彼らの所へも著者は周囲の反対を押し切ってでかけてゆく。

 著者がシャマンの治療を受けるシーンは思わず笑ってしまった。「あなたは、わたしから天空のエネルギーを感じとりましたね。感じた量を紙幣にかえて机のうえに置いてください」。ポケットをさぐるのであったが、シャマンとの関係は実は帰国後も続いたと著者は信じている。本書編集の際、編集者とシャマンの章のやり取りをする時だけ、メール送信に不具合が生じたそうだ。

 本書のエピソードには常識をゆさぶられることも多い。21世紀にもなって、生年月日がよくわからないという人がいるとは思わなかった。トナカイ遊牧民が届け出をするのにタイムラグがあり、亡くなった場合届けもしない。「自分の誕生日を知らなくても、ツンドラで生きていくにはなんの問題もありません」と言い切る青年はたくましい。時間に拘束されない人々の自由な空間に著者は魅了される。

 著者をテレビでご覧になったことのある方も多いだろう。難解な事象がすばらしく流麗な文体でまとめられている。これだからテレビのコメンテーターとして引っ張りだこなのだろうと納得する。

(初出:北海道立北方民族博物館友の会季刊誌 Arctic Circle 102/2017.3.17)

2020.3.12

北海道立北方民族博物館 〒093-0042 北海道網走市字潮見309-1 電話0152-45-3888 FAX0152-45-3889
Hokkaido Museum of Northern Peoples   309-1 Shiomi, Abashiri, Hokkaido 093-0042 JAPAN FAX+81-152-45-3889