著者の服部文祥さんは、近年売り出し中の登山家である。もう少し詳しくいうと、「長期山行に装備と食料を極力持ち込まず、食糧を現地調達する。狩猟技術を使った冬期サバイバル登山を試行中」の登山家である。
本書は日本でサバイバル登山を行った第一部と、サバイバル登山のスタイルでツンドラを旅した第二部からなる。ここでは第二部を紹介する。ツンドラの旅は、ロシア東端のチュコト半島で行われた。NHKの番組のためである。チュコト半島には350万年前に隕石が落ちてできたエル・ギギトギン湖があり、この湖にしかいない魚が2種いるので、これを釣って食べるというのが番組のストーリーである。
ところでチュコト半島はトナカイ遊牧民チュクチが暮らす地域である。トナカイ遊牧民を探して、数日のうちにツンドラでの生活技術を学び、現地の優秀な狩人と一緒に旅をしようという、やや調子のよい計画だったので、まずは遊牧民探しからはじまる。
そして、全く偶然に、人を迎えるために荒野にぽつんと立っていたチュクチのミーシャと出会い、旅に加わってもらう話がまとまる。あまりにも順調すぎるので、演出では?という疑問が出されたほどだが、これは正真正銘に偶然とのこと。このミーシャと出会うかどうかでこの後の展開は全く違うものになっただろう。
ミーシャの案内で、チュクチの住居「ヤランガ」にお邪魔し、トナカイ肉をごちそうになったり、毛皮なめしを取材したりするなかで、著者は日本では考えられないような厳しい条件で、素朴な生活を送る人々を紹介するという番組の意図にそって、大変なことや、生活での不都合をきくように促された。けれども著者は、遊牧民たちは自分たちの生活が大変だとは思っていないだろうし、日本の生活のほうがましだともいえないだろうと、そんな質問よりも極北のツンドラで暮らす楽しいことや、誇らしいことをききたかったと記している。
いよいよツンドラ徒歩旅行である。著者が体験するのは、トナカイ狩猟やその解体といったツンドラ徒歩旅行ならではのものに加え、ミーシャとの交流だった。「獲物に関するいいことも悪いことも受け入れて、それにプライドをもち、殺した動物に恥じない生き方をする」というミーシャの世界観はこの時代にあえてサバイバル登山を指向する著者にとって、なによりも憧れるものであった。
さて、旅のハイライトは、エル・ギギトギン湖での釣りである。湖底が浅く、沖合まで頼りないゴムボートでこぎ出さねばならず、ルアーは沈まず、繰り出した糸は凍り付く。果たして無事、固有種を釣り上げることができたのか――。
ツンドラ徒歩旅行は、湖で終わるはずだった。しかし、サバイバルはまだ続いた。ずっと晴天だったのが急に悪化し、湖近くの小屋に足止めを余儀なくされる。吹雪になるなかで、乏しくなる食糧と燃料。救助にきた無限軌道車も近づけない。結局ヘリコプターに救出されることになる。
著者の思いがストレートに表れた文体に、ロシア人と先住民の微妙な関係をみたり、トナカイ毛皮1枚3万円が高いのか安いのか?と一緒に悩みながらチュコト半島を旅する気分になれることだろう。
ところで、帰国した著者を待っていたのは、勤務先の担当雑誌の休刊であった。サバイバルな出来事は、どこにいようと容赦なくやってくるのである。
(初出:北海道立北方民族博物館友の会季刊誌 Arctic Circle 97/2015.12.18)