わたしがトゥバ(註1) という国を知ったのは『ファインマンさん最後の冒険』(註2) という本の中ででした。ノーベル物理学賞受賞者でもあるファインマン氏は、友人との食事中に「いったいタンヌ・チューバはどうしちゃんたんだろうね」という質問をします。三角形とか菱(ひし)形の切手を発行することで収集家には知られていた国でした。当時は米ソの冷戦のため非常に困難だったトゥバ行きをめざすファインマン氏とその仲間たちは、トゥバに関する情報収集をはじめます。そしてこの過程に本書が登場してきました。
訳者の田中克彦氏は「ちょっと考えられないような偶然によってうまれた20世紀の奇書である。それはモンゴルと南シベリアとの間に、23年間だけ独立国であった時代のトゥバに、その固く閉ざされた国境をこえて入ることのできた、ただ一人の外国人が残した奇蹟の報告だからである」と本書を紹介しています。
トゥバはバイカル湖の西に位置する、北にサヤン山脈を見あげ、南はモンゴルと国境を接したロシア連邦の共和国名であり、民族名でもあります。トゥバ語はトルコ語と同じ仲間のチュルク諸語に分類されます。この地域はスキタイ、フン、チュルク汗国、ウイグル、古代キルギス国家などへと支配元がかわり、13~18世紀はモンゴルの、その後清朝の支配下に入り、次にロシア帝国に併合されます。そして1921年にタンヌ・トゥバ人民共和国として独立したものの、1944年にはソ連邦に加入するという経歴をもっています。
さて、トナカイ飼育の起源には様々な説がありますが、トゥバのあるサヤン地方はその最有力地です。ホーメイ(註3) という、簡単にいうと一人の人間が二つの声を同時に出して歌う歌唱法もこの地方で行われています。首都クズルには「アジアの中心の碑」が建っており、様々な民族や国家が行き交った地としてこの地域は注目されてきました。著者のメンヒェン=ヘルフェン氏は1929年に独立国家とはいえ、事実上はソ連が支配していたタンヌ・トゥバ人民共和国を、北・内陸アジアのシャマニズム研究の目的で訪れます。しかし本書はシャマニズムのことだけではなく、そこここにソ連の影がちらついているものの、当時のトゥバの生活の様子を、ウィットあふれる文体で生き生きと伝えています。
どうしても自分で翻訳をやりたかったという訳者は解説に「トゥバは独立を失ってソ連邦に併合されてしまった。しかしそこには活力にあふれたすばらしい人たちがいて、目立たないが、トゥバの独立時代を想起させるためのさまざまな試みが行われている。研究とはそういう人たちがいることに気づくことなのだ。私たち日本人が、その人たちの力になれる確実な方法の―つは、何よりもまず、『トゥバ共和国』が存在するのだということを知ることである」と書いています。
トゥバは日本と無関係ではなく、1984年にトゥバ自治共和国で調査を行った鴨川和子氏は、旧日本軍が残した傷跡の大きさを思いしらされたと言っています(註4)。
ファインマン氏は11年間トゥバに行くことを熱望しながらも、アジアの中心の碑を見ることはありませんでした。しかし、最近はトゥバに入るのもそれほど難しくはなくなったそうです。数年のうちにトゥバを取り囲む状況が随分かわったものだと思うのです。
註1) 日本語表記にはトゥバ、チューバ、トゥヴァ、トゥワー、トゥーバなどさまざまある。
註2) 『ファインマンさん最後の冒険』ラルフ・レイトン著 1991 岩波書店
註3) 『口琴ジャーナル』7号に詳しい
註4) 『トゥワー民族』鴨川和子 1990 晩聲社
(初出:北海道立北方民族博物館友の会季刊誌 Arctic Circle 20/1996.10.4)