灯火親しむ

津曲敏郎

 ロシア沿海州を流れるビキン川中流域のウデヘの村クラスヌィ・ヤールを初めて訪れたのは1996年の秋だった。以来毎秋(ときには春先も)通うようになり、村人のお宅にお世話になった。当初は日中に電気が来ないのは当たり前で、来るはずの夜間もしよっちゅう停電した。ロウソクや懐中電灯の頼りない灯りの下で辞書の小さい字を追っていると、いきなり復活して、もともと暗い裸電球さえ目がくらむほどまぶしく感じた。そのうち電子辞書やパソコン画面をながめながらの仕事が多くなったので、(充電さえしてあれは)停電の影響も少なくなったが、そうなるころには夜間の停電も減ってきた。

 停電のトラウマなのか、各種懐中電灯やヘッドランプ、LED付き拡大鏡、ソーラー電源やUSBライトなどを見るとついフィールド用にと買い集めるくせがついたが、せっかくの便利グッズもそんなわけであまり出番のないままだ。地元の人は停電のことを「スヴェト・ニェット(光がない)」とよく言っていたが、そこには、万事なければないで何とかなるさという、あきらめと前向きさをないまぜにしたような響きが感じられた。もちろんここの人たちも今では衛星放送のTVやビデオを楽しみ、携帯電話でやり取りする日常を過ごしているが、その一方で昔からの暮らしの知恵もちゃんと受け継いでいる。

 ビキン流域のタイガでキャンプ生活を体験したときのこと、案内の若い猟師らが流木を集めるや手際よく火を起こして煮炊きをし、食後もたき火の回りで暖を取りながら語り合うのを見ていると、電気などなくても遠い昔から人々はこうしてきたのだ、とあらためて思った。

 秋の夜長、灯火のもとで親しむのはもちろん「読書」ということになっているが、もともと文字を持たなかった人々にとっても、火は知識の伝承と人々の絆を照らし出してきたに違いない。ウイルタのすぐれた伝承者佐藤チヨさんが、少女時代に近所の老人から長編英雄物語ニグマーを聞き覚えた様子を、池上二良先生が思い描いている。「家人の寝しずまったかれの円錐形小屋(aundau)の暗いなかで、たき火のあかりは、そのはたで演ずるおじいさんのニグマーをひとことも聞きもらさじと聞き入っている幼い少女の顔を映し出していたことだろう(池上1984「カラフトのウイルタ族の英雄物語とその伝来」)。先生の文章には珍しく、想像力と情感あふれる筆致である。

 

(初出:北海道立北方民族博物館友の会季刊誌Arctic Circle 104/2017.9.22)

2020.3.4

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