玉魂賜為
見慣れぬ四文字熟語?ではない。いずれも日本語タマの同源語を並べたもの。「玉」は今日では球形・円形のものを表わすのに広く使われるが、古くはとくに呪術・装飾用の美しい丸い石などを指した。これが「魂」と結びつくのは、目に見えない精霊の憑代(よりしろ)として扱われたからである(シイの部分の語源には定説がないようだ)。「賜(たま-ウ)」との関係は意外に思われるかもしれないが、タマ-アフ(魂合う)から来ている。つまり、「目下の者の求める心と、目上の者の与えようという心とが合って、目上の者が目下の者へ物を与える意が原義」(『岩波古語辞典』)とされる。賜物(たまもの)という名詞的な使い方もある。
と、ここまでは既存の辞典類からも確認できる。為(ため)との関係に踏み込み、さらに北方言語との類似を指摘したのは池上二良先生である。先生の説によると、タメはタマ(賜)と母音交替の関係にある。フネ(舟)/フナ、サケ(酒)/サカなどある種の名詞に見られるe/aの交替で、前者は言い切り(自立語)、後者は複合語(舟人、酒樽)の前半に立つ形である。タマは玉・魂の意味ではこの交替を示さないが、賜物ではたしかにモノと複合する位置にあり、しかもタメと「ほうび、代償、対価」の意味でつながる。「~のタメに」とは本来「~の代償として」の意味であるという。
さらに面白いことには、このタマと意味と形の点でよく似た語がツングース語にもある。まさにtama- という形で、名詞として「値段」、動詞として「払う」の意味をもつが、原義は「代償(として与える)」であろうと池上は推測している。サハリンからアムール川流域、さらに北東アジアへと広域分布するツングース諸語のほとんどでこの語の存在が知られている。日本語との関係について池上は慎重に断定を避けているが、古い時代に(おそらく他のいくつかの単語とともに日本語からツングース語へ)借用関係にあったと見ていたようだ(詳しくは池上二良『北方言語叢考』北大図書刊行会2004の諸論考を参照されたい)。
ちなみに、若者言葉としてのタメ(口/ぐち)「同輩(としての口の利き方)」という言い方は(先生はもちろんご存じなかったはずだし、筆者の学生時代にも耳にしなかった言葉だが)、おそらく為から来ており、「対価=対等」という意味をよく残している。別々と思っていた単語が意外なつながりを見せ、広い空間と長い時間を旅して現代に受け継がれていることに、あらためて言葉の不思議を思う。