「猿蟹合戦」は日本でもっとも人気のある昔話の一つである。この昔話が独立した二つの昔話から成り立っていることはよく知られている。前半独立型は高いところに登るのが得意な猿と苦手な蟹(蟇/ひき)が柿(餅)をめぐって争う「猿と蟹と柿」や「猿と蟇の寄合田」という昔話であり、後半独立型は仇討ちの旅に出た主人公が途中で出会った動物や道具たちを助っ人に加え、敵をやっつける「雀の仇討ち」である。興味深いことに、この前半独立型、後半独立型が揃ってシベリア極東地方の少数民族に存在する。
前半独立型
ナーナイ、オロチ、ウリチなど、ツングース諸民族に「蛙とクマネズミ」という昔話がある。ウリチの話を要約する。
母さん蛙と母さんクマネズミが一隻のボートを漕ぎ出し、ウワミズザクラの実がなっている場所へ行った。目的地に着くと、母さんクマネズミは木にするする登って実を取ったが、母さん蛙の方は木登りなんかできるはずがない。上を見上げて、「せめて一粒でもいいから、投げておくれ!」とクマネズミに言った。
クマネズミが実を一粒投げてやると、蛙はぱくりと呑みこんだ。クマネズミは木から下りてきて、蛙に、「わたしがやったサクランボはどこさ」と言い、ボートの座板で蛙の体を押えつけた。すると蛙の口からぽろりとサクランボの実が出た。クマネズミはそれを洗って籠に入れた。
蛙とクマネズミが自分たちの岸に帰ってくると、子供たちが大喜びで岸に下りてきた。クマネズミの子供たちは、「母さんがサクランボをとってきた!」と喜んで家へ帰っていったが、蛙の子供たちは泣きながら家に帰った。
ここまでが日本の「猿と蟹と柿」と共通するところで、その後の展開は類話によって異なる。しかし、いずれの場合も主人公が助太刀なしで敵に報復するところは、日本の昔話と同じである。
クマネズミというのはドブネズミより体は小さいが、日本の猿と同じく木登りが得意な動物で、この昔話の登場人物としてまさにうってつけの動物である。
後半独立型
日本の後半独立型として知られる「雀の仇討ち」の中心は仇討ちにあり、構造は「桃太郎」の鬼退治とも一致する。日本の「雀の仇討ち」の粗筋を見よう。
仇討ちの旅に出るのは鬼(山姥、猿、狸)に卵を奪われた雀である。雀が旅の途中で栗、蟹、針、臼、牛糞などに順次出会い、彼らを仲間に加えて敵の棲家にやってくる。一行が炉の灰や水瓶の中、あるいは戸口の上など、それぞれ思い思いの場所に身を隠すと、そこへ鬼が帰ってくる。鬼が炉に火をおこすと、栗がはぜて目にあたる。あわてて水瓶の中に手を突っ込むと、蟹に手をはさまれる。ふとんの中にとびこむと針に刺され、外に飛び出すと牛糞にすべって転ぶ。そこへ頭上から臼が落ちてきて鬼はつぶされる。
これとよく似た話がロシアのサハリン島や極東地方にある。ニヴフ民族では主人公は草束と錐である。二人は仲良く暮らしているが、あるときふいに悪天候に見舞われる。草束は薪が濡れることを心配し、家の外に出る。いくら待っても草束が戻らないので、錐は草束を探しに出掛ける。旅の途中で犬の小便、犬の糞、犬の頭、砥石と出会い、順次仲間に加えていく。一行は敵の住処に着き、各自持ち場に就いて敵の帰りを待つ。そして帰って来た敵を退治し、さらわれた草束を奪還して「めでたし」となる。
仇討ちの意味
ツングース諸民族の昔話では主人公の旅の目的が仲間を救出し、悪天候を鎮めることにあることは明らかだ。ニヴフの昔話に登場する錐は鋭利な切っ先を持ち、強力な敵と戦う力を持っているが、もう一方の草束は強風に対しては無力である。我々人間も大自然の猛威の前では草束と同じくらい弱い存在である。だから人間は日頃から身の回りの道具や動物をたいせつにし、彼らを味方につけて強力な敵に立ち向かう必要がある。この昔話には人々のそんな切実な思いが秘められているのではないだろうか。それを裏付ける類話がナーナイ民族にある。主人公のシジュウカラは敵を倒した後、高らかに勝閲(かちどき)の声を上げ、穏やかな陽気が戻ったこと、新しい時代が到来したことを宣言する。
漁撈と狩猟を主な生業としてきた北方民族にとって、海や山を吹き荒れる強風や吹雪は最大の敵である。この昔話は荒れ狂う大自然を鎮めるための祈りの言葉のようなものであり、一種の呪文だったのではないだろうか。
我が国では八朔(はっさく/陰暦の八月一日)のころ、風を鎮めて豊作を祈る風祭りが各地で行われてきた。風祭りに悪い風を防ぐ目的で竿の先に鎌を縛りつけた「風切り鎌」を切妻や庭に立てる風習がある。屋根の上や庭にすっくと立つ、この風切り鎌の雄姿はニヴフの錐の姿と重なる。
日本の「猿蟹合戦」はかつては前半と後半がそれぞれ独立した昔話だった。ツングース諸民族にも前半の類話、後半の類話が揃っているが、両者が結合した昔話はない。この結合はおそらく日本で生じたものと思われる。
日本の昔話を知るには他民族との比較研究が欠かせない。比較研究によって、日本ではすでに意味不明となっていることがわかり、隠された本質の解明に一歩近づくことができるからである。
※「ヤランガに雁のとまる時」は、北方民族の口承文芸とその背景にある自然・社会・文化について紹介するコーナーです。
(初出:北海道立北方民族博物館友の会季刊誌 Arctic Circle 104/2017.9.22)
北方民族の語り1 ~ シベリア先住民族の口承文芸
北方民族の語り3 ~ シベリアの「かちかち山」
北方民族の語り4 ~ シベリア先住民族と八百万の神々
北方民族の語り5 ~ 語りをするとき
北方民族の語り6 ~ ふしぎの世界
北方民族の語り7 ~ 食文化