過酷な自然と向き合って
シベリアの民族は現代では多くの人が都会の高層住宅に住み、会社勤めをしているが、一昔前まではツンドラやタイガに立つテント小屋やログハウスで寝起きし、狩猟や漁撈、あるいはトナカイ飼育をして生きてきた。シベリアの過酷な自然に順応するために、人びとはさまざまな努力を重ねてきた。その土地の地形や植生に通じ、そこに棲息している獣や魚の習性を知り尽くしているだけでは足りなかった。自然は気まぐれである。獲物がたくさん獲れる年もあれば、まったく獲れない年もある。そんな自然の摂理を人々は森や川に住む精霊たちの活動と関連づけて捉え、精霊たちに対してさまざまな働きかけをしてきた。
たとえば、アジア・エスキモーは北極圏の空を彩る幻想的なオーロラの光を見て、死んだ子どもたちの霊が天に昇り、美しい刺繍を施した手毬を投げて遊んでいる光景を思い浮かべた。雨が降れば、「天上に住んでいる女の子がおしっこをしている」、あるいは「死者が涙を流している」と考えた。強風が吹き荒れれば、「人間の生命を司る精霊が怒って荒い息をしているのだ」と思い、荒ぶる精霊を鎮めるために昔話を語った。
昔話の中に主人公の敵として登場する悪霊の正体は、人間と敵対する自然力である。若くて勇敢な主人公がこの敵を倒す昔話を語れば、荒れ狂う自然を鎮めることができると考えた。
風を殺す昔話
アジア大陸北東のチュコトカ半島で海獣猟をしてきたチュクチャという民族では、語り手が昔話を語り終え、「わたしは風を殺した!」と宣言したとか、「風が鎮まりますように!」と唱えたとする記録がある。このあたりの気候は非常に厳しく、とくに東海岸では強風や吹雪が何日も続き、海に出られないことも珍しくない。夏に雨や霧が多いことも、海の猟師たちを困らせてきた。「風が鎮まりますように!」といった語り収めの言葉は、一種の呪文だったのだろう。その昔話全体が呪文だったとも言える。
トゥヴァ民族では、祝祭の場でみんなで歌をうたうことが超自然的な存在を満足させると考えられていて、どの歌からはじめるか、最初にだれがうたうかといったことも厳格に決まっていた。昔話や英雄叙事詩の語りについても同じことが言えた。語りを聞かせる相手はその場に集まっている人間ではなく、自然界を司る精霊たちであり、物語に登場する主人公の霊である。彼らにすばらしい語りを聞かせて楽しませることができれば、翌日の狩りは首尾よくいくと考えたのである。
よそ者には聴かせるな
語りをする時間帯は一般的には夜だが、エヴェンキの場合、自然界の精霊にまつわる話だけは昼間にする。それも聴衆が少ないときに限られた。この種の話を聞かせる相手はもっぱら若者たちだった。彼らが精霊と遭遇したときにいかに身を処すべきかを教えるためである。だから相手がたとえ著名な研究者でも、よそ者には語らなかった。外部の人間にはこうしたタブーが存在することすら、長年知られていなかった。語りをするということはそれほど真剣な作業であり、まさに命懸けの仕事だったのである。
北風を鎮める英雄叙事詩
アムール河流域のナーナイ民族には、北風が強いときに語る英雄叙事詩がある。ある語り手は語りをはじめる前に次のように前置きした。「昔は北風が吹き荒れると、ニングマン(英雄叙事詩)を語ったものだ。ニングマンを語るのは風の主を殺すためだ。(中略)ニングマンを語るのは夜だけだ」と。そう告げたあと、この語り手は次のような不思議な物語を語りはじめた。「北から強風が吹き出し、人々は漁に出ることができなかった。そこでひとりの老婆がみんなを助けようと思い立ち、両手に審を一本ずつ持ち、それを翼のように振り回しながら天に舞い上がり、黒雲を追い払った。空が明るくなり風が弱まると、老婆は北風がいる断崖に降り立って、北風が吹き出す穴を石で塞いだ。すると風が止んだ」。
北風のところへ娘をやり、悪天候を鎮める
荒ぶる自然現象を鎮めるには悪霊を退治するか、あるいは喜ばせるか、どちらかである。ウラル山脈の東に住むハンテ民族にはこんな昔話がある。
「三人の娘を持つ男があまりに寒いので、北風のところへ娘を嫁がせることにし、上の娘を行かせた。ところがこの娘は道中父親のいいつけを守らなかったうえに、北風が命じた仕事もさぼった。北風は怒って娘の首をはねた。家では父親が天候の回復を待っていたが、ますます寒くなった。そこで二番目の娘を行かせたが、結果は同じだった。困った父親は末娘をやった。この娘は道中、父親のいいつけをしつかり守ったうえ、北風がいいつけた仕事もきっちりやった。北風は喜び、この娘を妻にした。すると父親の家の中が暖かくなった」。
この昔話を語る意味が北風を鎮め、悪天候を回復させることにあったことは明白である。アイヌ民族には、悪い風を吹かせて人間を苦しめる北風の女神をオキクルミが罰する物語があり、日本民族には「雀の仇討ち」や「桃太郎」のように、悪霊退治を中心テーマとした昔話がある。また、日照りに困った百姓が娘の一人を蛇のところへ嫁がせる「蛇婿」昔話もある。こうした日本の昔話もかつては荒れ狂う自然を鎮めるために語られたとも考えられるが、残念ながらそれを裏付ける証拠はない。
※「ヤランガに雁のとまる時」は、北方民族の口承文芸とその背景にある自然・社会・文化について紹介するコーナーです。
(初出:北海道立北方民族博物館友の会季刊誌 Arctic Circle 107/2018.6.28)
北方民族の語り1 ~ シベリア先住民族の口承文芸
北方民族の語り2 ~ シベリアの「猿蟹合戦」
北方民族の語り3 ~ シベリアの「かちかち山」
北方民族の語り4 ~ シベリア先住民族と八百万の神々
北方民族の語り6 ~ ふしぎの世界
北方民族の語り7 ~ 食文化