齋藤君子

ヤランガに雁のとまる時 北方民族の語り6~ふしぎの世界

ベニテングタケの怪

 シベリア先住民族は一般にキノコを食べない。例外はベニテングタケとチャーガ(サルノコシカケの一種。和名はカバノアナタケ)である。ベニテングタケには幻覚作用があり、煮だして煮汁を飲むと幻覚症状を惹き起こす。祭りの場でシャーマンや語り手が夢占いをしたり、長大な叙事詩を語ったりするとき、その作用を利用する。ただし、飲みなれていない人がこれを飲むとひどい下痢や幻覚症状を引き起こすので、注意を要する。一方、白樺の木に生えるチャーガは昔からさまざまな病気に効能があるとされ、民間で利用されてきた。癌の特効薬としても注目を浴び、日本にも輸入されている。このように、これら二種類のキノコは利用されてきたといっても、食料としてではない。

 筆者は民族学者ユーリー・シムチェンコ氏がフィールドワークでチュクチャの集落を訪れた際の貴重な体験談を聞かせていただいたことがある。祭りの場で男たちがベニテングタケを煮だした汁を回し飲みし、次第に悦惚状態になっていった。彼も体験してみたくなり、器を手に取って一口飲んだ。すると土地の男が、「初めて飲むときはそのくらいにしておけ」と忠告してくれた。しかし、二度めに器が回ってきたとき、彼はその場の雰囲気につられ、ついつい再び飲んでしまった。すると効果てきめん、真夜中にひどい下痢に襲われ、凍てつく屋外へ何度も飛び出していって、ズボンを下ろし、極地の寒気に肌をさらすはめになったというのである。

 西シベリアのハンテ民族の場合も、語り手たちは長大な物語を語るとき、記憶を蘇らせるためにベニテングタケを服用した。聴き手の側もこれを飲んで酩酊状態に陥った。V・クレズミンとN・ルキナはハンテの叙事詩の語りの場の雰囲気について、次のように伝えている。「語り手も聴き手もエクスタシーに近い状態に陥った。そのような状態を作り出しているのは、単調で終わりのないモチーフ、何行にも及ぶリフレイン、節全体の反復である。一人称、つまり精霊の言葉で演じることによって、聴き手を遠い過去へといざなった。延々と続く吟唱は語り手と聴き手を周囲の現実から切り離す。その結果、彼らの間に一種の浄化作用が生まれ、我に返ったとき、自分たちも世界秩序も蘇生したかのように感じた。〈ベニテングタケの歌〉というのもあった。自分をエクスタシー状態に導くためにベニテングタケを食べ、ベニテングタケがうたってくれた歌を聴き手のためにうたった」。

 叙事詩の語り手はベニテングタケを食べて興奮状態になり、長らく忘れていた説話を一晩ぶっ通しで吟唱することもあったという。「明け方、語り手は力尽きて倒れてしまったが、聴き手たちは満足していた」。

 ベニテングタケがうたう歌を実際に聞いた人もいる。フォークロア集『スルグト川流域に住むハンテ人の昔話と話』(2015年刊)に収められている「ベニテングタケの歌」という話で、実話として1992年に語られているので要約しよう。

 

「ベニテングタケの歌」

 

 住んでいた家を捨てて出ていく場合、その家は七年間は待っていてくれる。その間であれば家に戻ることができるが、七年経つと魔物の棲みかになってしまう。ある男がそれまで住んでいた家を捨てて、他に家を建てた。それから長い年月が経った…七年経った。あるとき、男が狩りに行く途中、昔住んでいた家のそばを通りかかった。すると家の中から物音が聞こえた。近寄って聞き耳を立てると、歌声が聞こえる。男はその家にベニテングタケを置いたままにしてきたことを思いだした。廃屋の隅っこでだれかが歌をうたっている…。女の子(家の精霊)がベニテングタケに酔って、うたっているんだ。

 

こんなことがあるから、ベニテングタケを置き去りにしてはいけないという話だ。

 

髪を梳かす女

 カムチャトカ半島のコリャーク民族にはワタリガラスを主人公とする昔話がたくさんあり、その―つに「雨を降り止ませたクイクインニャク」という話がある。クイクインニャクとは天地創造神で、ワタリガラスの中でいちばん偉い。そのクインニャクが雨を降り止ませる手口がユニークでおもしろい。話を要約すると、「雨が何日も降り続くのでクインニャクが島へ行ってみると、女が髪を梳かしていた。クインニャクは髪を梳いている女にベニテングタケを食べさせて眠らせ、その女の髪の毛、眉毛、睫毛を剃り落としてしまった。すると空が晴れ渡った」という。

 よそ者には難解な昔話である。カムチャトカ半島は悪天候が続くことが多く、一年の多くが霧に包まれている。鯨やアザラシなどの海獣を獲る男たちは、悪天候に見舞われると海に出られない。そうなれば生死に関わる大問題なので、そうならないよう、家を守る妻たちにさまざまなタブーを課してきた。たとえば、夫が海に出ている間、妻は髪を梳かしてはいけない。そんなことをすれば天候が荒れ、網が絡まってしまうとされていた。

 昔話に登場する「髪を梳かしている女」とは天候を司る女神である。クインニャクは長雨が続いているのはこの女が髪を梳かしているせいだと考え、天候を回復させるために、女の髪を切ったというのである。こうした不可思議な話にも、人々の切実な思いと明日への希望が語り込められていることがわかる。

 

※「ヤランガに雁のとまる時」は、北方民族の口承文芸とその背景にある自然・社会・文化について紹介するコーナーです。

(初出:北海道立北方民族博物館友の会季刊誌 Arctic Circle 108/2018.9.28)

 

 北方民族の語り1 ~ シベリア先住民族の口承文芸

 北方民族の語り2 ~ シベリアの「猿蟹合戦」

 北方民族の語り3 ~ シベリアの「かちかち山」

 北方民族の語り4 ~ シベリア先住民族と八百万の神々

 北方民族の語り5 ~ 語りをするとき

 北方民族の語り7 ~ 食文化

 

 

2020.4.30

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